人気ブログランキング | 話題のタグを見る

お久しぶりです

お久しぶりです。約1年間のご無沙汰でした。

ふと思いたって久しぶりにログインし、そのまま半年間分ほど読み返していました。
確かに起こったことだけど、もう遠い世界だし、過去だなあ。
大体において浅い、つくってる、表面的すぎ、等つっこみながら読んでいましたが、でも時々ポロッと正直な思いが吐露されたり、自分で笑ったりもして、稚拙ながらも興味深い文章群ではありました。

でもこの続きはもう書けないかな。

この1年間、生活はさほど変わっていないけど、感じ方や考えはけっこう変わった。
生活スタイルで言えば、「考えること」より「行動すること」に関心が移った気がします。勇気を出して飛び込んだ場所で、いい繋がりができたり、友達が増えたりするのがうれしくて楽しい。
2年ほど前の日記に「自分はTwitterはむいてない」と書いているのが笑っちゃった(笑)今はほぼツイッターで満足してるからなあ。いい加減なものだ。

今、この自分でまたブログを書くとしたらどんな表現になるのか、興味はあるけれど。

「書くこと」が自分にとって必要不可欠なものであるならば、いずれ何らかの場を得るでしょう。
やりたいことをやりたいようにやっていきます。

私は元気です。あなたも元気でいるといいな。
# by saku_2425 | 2012-05-12 23:07 | うたかた日記

寄り添って祈る

このたびの震災で命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りします。
ご家族や大事な人を亡くされた方々にただお悔やみを申し上げます。
今なお不安な日々を過ごされている方々が一日も早く安心できることを願います。

-------------------

今回の震災に関し、たくさんの人々が「自分に何ができるのか」を考えています。実際に行動している人もたくさんいるし、新聞でもテレビでもネットでも、毎日いろんな立場からの主義主張が大声で叫ばれている。あるいは個人的な小さなつぶやきとしてTwitterに流れている。

「自分に何ができるのか」を考えるということは即ち、「自分はこの社会においてどのような存在であり、何者であるのか」を考えることです。自らを俯瞰し、自らが持っているものを客観的に測り、そしておそらく徹底的に無力を思い知ることは、たぶん、かなりつらいことです。

震災発生から3日目にしてテレビの電源を抜いてしまった私は、そのつらさに耐えられなかった。というより、とめどなく落ち込んでいく精神状態が怖かった。「日常に戻らなくては、無事だった私たちが元気を出さなくては、いつもの生活を営もう」そう思って気合を入れました。

そうして震災から10日が経った今、少し考えが変わっています。
無理に元気を出そうとしなくてもいいのではないか。日常に固執しなくてもいいのではないかと。

1万人もの人が亡くなった。1万もの人生が消えた。正直、私にはその数が実感としてわかりません。ただ自分の家族を、恋人を、友人を亡くした人が1万人の数倍いるんだということはわかる。
大事な人が目の前で津波に引きずり込まれていった。生死が分からないままの身内を求めて遺体安置所をめぐり歩く。生き残った人の数だけのたうち回る悲しみがある。一生続く苦しみがある。

「頑張ろう」「元気出していこう」「いつもの日常をしっかり送ろう」と言う声も真実で、とても大事だと思います。私も頑張ろうと思うし、元気出していきたい。無事な地域の人間が落ち込んでどうする、という気持ちも確かにある。でもそれができないこともダメだと思わないようにしよう、と考えるようになりました。

これから時間はかかるけど、被災地はきっと復興する。日本も変化しながら頑張っていくでしょう。
でも死んだ人は二度と還らない。永遠に復興しない、永遠に失われたものを思ってひたすら泣く時間が、被災地の方にも、被災地外の人々にも許されていいはずだ。そしてできることなら、私は傷ついた心に寄り添うような場所にいたい。励ますでも、導くでも、分析するでもなく。下手すると役立つこともなく。でもじっと見守っていたいし、寄り添って祈っていたい。

人には向日性がある。暗闇を存分に見つめた心は、いつか自然に光のほうへ向くでしょう。それを信じられる程度には、私は自分に自信をもっている。だから無理して日常に戻ろうとせずに、心が折れているならばそのままで、悲しんだり惑ったり考え込んだりしながら生活していこうと思います。


そしてやっぱり私は、苦しんでいる人たちに、温かくあかるい場所を提供できる人間になりたい。
# by saku_2425 | 2011-03-24 01:20 | サクのつぶやき

オトナの段取り力

まだ2月なのにすっかり春めいた空気のなか、毎日元気に楽しく暮らしております。

先日は東京で一日研修を受けてきました。名づけて「段取り力アップ研修」。…すみません、いつも段取り悪くてすみません。「これ受けてきたら?」と笑顔でパンフレットを差し出した上司の顔を思い出しながら、まじめに受講して段取り力を獲得して帰るぞ、と勢い込む。

講師「今日いちばんに心掛けていただきたいのは、たくさん発言するということです。失敗することは恥ずかしいことではありません。まずバッターボックスに立つ!」

あ、あの、それは段取り力と関係あるのでしょうか?

その後もやたらとグループワークが続き、グループ内でなぜかリーダーに指名されたこともあって大忙し。忙しすぎて笑えてくる。模造紙に付箋をはったりマジックの色で悩んだり、何だか小学校の社会学習チックですよね!30人もの大人が部屋をうろうろ歩き回る。

講師「質問があればなんでも言ってくださいね」
参加者「あの、急ぎの仕事があるときに、急にミーティングの予定を差し込まれたらどのように対処すればいいのでしょうか?」
講師「そうですね、『予定は前もって言ってほしい』と言いましょう!」

先生、質問者の方が明らかにがっかりしています。

講師「さて、終了時間までもう少しですが、時間が足りずにレジュメが1/3残ってしまったので各自で読んでおいてください!」

だ、段取りワルーーー!!

その後、同グループの方々から「研修内容はともかく、皆様と知り合えてよかったです」「研修内容に限らず、いろいろな刺激を受けました」「皆様との交流が非常にいい経験になりました」等のメールをいただき、オトナ達のオトナ語遣いに感じ入る。返信メールを打っていると、またメンバーの方からぴこんとメールが届く。

「サクさんの言葉遣いがとてもきれいで感心しました。よろしければ僕とお友達になってくれませんか?プライベートアドレスはこちらです。メールで文通しませんか」

オトナにはいろんな段取り力があるのだなあと感心しきりの研修体験でした。
# by saku_2425 | 2011-02-28 00:06 | うたかた日記

友達の友達は

連休中日の日曜日、知り合いから声をかけてもらって飲み会に顔を出してきました。ひょんなことから誘われたのだけど、簡単に内容を聞くには、どうやら「友達の友達は友達」というコンセプトの元にいろんな大学の学生さんたちが集まる飲み会らしい。

「友達の友達は友達」・・・。私の人生にはなかった言葉にしばしショックを受ける。
友達の友達」は他人じゃない?せいぜい知人。そこから友達になるかどうかは全く別の話であるし、そもそも「友達の友達」になんて興味ないぞ。恋人の友達ならまだしも。

ということを色々考えていたせいで、「そもそも学生さんの飲み会に社会人が参加していいのか」という肝心な点をスッポリ失念する。「どんな雰囲気の集まりなんだろ~」という好奇心のみでほいほい出掛け、会場の居酒屋で「これに自己紹介を書いて首から提げてください。なるべく印象づけられるように文言を工夫してください」とカードを渡されたときに初めてびびる。

こっ、ここにいる30人もの学生さんたちは何を目的に集まっているんですか?婚活?(違う)

ドキドキしながら周囲を観察していると、びっくりするくらいきちんとした「社交」が繰り広げられている様子が見えてくる。参加しているのは大学1年生から院生まで様々だけど、基本的には学生さん。「自己紹介カード」を見せながら席を替わって話し込んだり、携帯で連絡先を交換したり、名刺交換までしている様を見て感心していると、「お隣いいですか?」と学生さんがやってきて、(合コンみたい・・・)と思いながら話す。

話を聞くと、起業を計画していたり、学生だけでカフェを経営していたり、フリーペーパーを編集していたり、映画を製作していたり、何だか本当に「目的意識」を持ってる人ばかり。明らかに異端者である私(社会人という点においても、参加した目的を持ってないという点においても)は壊れたオモチャのようにひたすら「えらいね~」と繰り返すしかないのでありました。

こういう、エネルギーがあって前向きでコミュニケーション能力(好きな言葉ではないけど)がある学生さんがこれからの社会を動かしていくのだろうな、と思いつつ、ふと自分を省みる。

ネットワークをつくりたいとか、たくさんの人とコミュニケートしたいとか、そういうシンプルに外に向かう力強い欲求をこれまで私は持ったことがない。会社の名刺でネットワークづくりに勤しむことはあるけれど、それはあくまで会社員としての責任感であり、「やりたいかやりたくないか」と言われると、やりたくない。

ひとりで静かに暮らしたい。雑多な世界はただ眺めていたい。交流するときは本気でしたい。

友人に「箱庭主義」と言われたけれど、本当にそうなんだろうな。人見知りはしないし、人と知り合うのは面白いけど、漠然とした知り合いをつくりたいわけじゃない。やっぱり私にとって「友達の友達」は他人であって、他人と一緒に時間を過ごしたいとは思えない。同じ時間を共有することが純粋な喜びとなりえる人、それが私にとっての友達の定義だ。

いろんなことを感じた面白い飲み会でした。でもこの飲み会で内定者の子と出くわしてしまい、プライベートと仕事モードが入り乱れてパニックに陥ったので、今後はもう参加しない(定期的に開かれているらしい)。ち、違うの!学生と偽って参加したわけじゃないからね!学生と偽って参加することに何のメリットがあるのか分からないけど違うから!内定者の子の「何でここにこの人が・・・」という茫然とした目が忘れられない。

でも個人的に「友達の友達は友達!」と言いきれる人はとっても好きだよ。誘ってくれてありがとう。
# by saku_2425 | 2011-02-14 02:33 | うたかた日記

スイマーの思惑

ごうごうと風が吹きすさぶ音が骨に沁み入るようでどきどきしている夜更けです。
連休初日の昨日、長風呂したり部屋を片付けたりしているうちに外出する気を失くし、ベッドでうごうご本を読んでいるうちにスイマー達に懐かれ、何だかやけっぱちになって布団に潜り込んだのが17時。浅い夢を繰り返した後22時に真っ暗な部屋で目覚め、心細さにしばし泣く。

読んでいた本が伊藤計劃『虐殺器官』というのもいけなかったのか。

それはともかく、この頃やたらとスイマーが急襲してくる。会社では滅多に眠くならない性質なのに、最近はパソコンに向かいながら頭がぐらっとするときもあるし。
先週はクユラ家で新年会だったのだけど、恒例の夜更かし(アルコールとWiiに興じる)もパスして早々にひとり寝室に引き上げました。「どうしたのー」「珍しいー」とクユラと猫ちゃんがひな鳥のように口を揃えていましたが、どうしたんだろうねえ。結局10時間がっつり寝ました。

ちょっと早い春眠かとも思いましたが、色々考えを巡らすに、1年前の大嵐をカラダがメモリーしているのではないかという気づきに至りました。1年前の2月、それは私が1日検査入院し、母が1週間心療内科に入院し、退院したと思ったら今度は心肺停止で救急搬送されたという悪夢の一ヶ月。
思えばあのとき、私はろくな眠りを味わっていなかったのだった。長崎では病院のソファーやら母のいない実家やらでうずくまってちょこちょこ眠り、福岡でも携帯を枕元に置いたままびくびく眠る。

現実がつらいときは眠りは癒しにはならない。目を覚ますたびに深い絶望に囚われるもの。肉親の危篤と一緒にするのはどうかとも思うけど、失恋したときもやはり眠りが拷問になったな。
目を覚ますとまたつらい一日が始まるから眠りたくない、でも眠らなきゃ身体が持たないから無理に眠る、そんな私をスイマー達はどんな思いで見ていたのか。

そうかそうかスイマーよ!君たちも寂しかったんだね!彼らが「ないがしろにされた2月」を取り戻そうといつにも増してふやふやと寄ってきているのではないか。あるいは「2月はよくないことがある」→「眠れなくなる」→「寝れるときに寝とけ」という身体のシグナルか。前者のほうがイメージが平和的なので、前者説ということにしておきます。

ということで、眠いときにぐっすり眠れる幸せを噛み締めつつ、スイマーとの蜜月(いささか愛が重いけど)を過ごしたいと思います。
# by saku_2425 | 2011-02-12 04:25 | うたかた日記