しっとり土曜日

しっとり薄暗い雨の土曜日。寝室の灯りをつけてお勉強中です。

この一週間は何だかとっ散らかっていて、雑多かつ膨大な仕事と、全体像がなかなか見えない試験勉強に引きずり回されているようなイヤーな感じで過ごしておりました。
私は「視る」ことには長けているのだけど、いかんせんスキルがない。なので、入り組んだ事態をじっくり見定めてポイントを見極めることは可能なのですが、じゃあそれにどう対処するよ?という時点で止まるのですな。これはストレス溜まるよ!問題点を浮かび上がらせるだけ浮かび上がらせて、手をこまねくしかないんだからな!・・・スキルをつけろよという話ですね。

仕事をするということは、自分の手でこの世界を少し動かすということだ。と私は理解している。
曖昧模糊とした「世界」という概念を実体として捉える機会、ざらっとしてるかひんやりしてるかふわっとしてるか分からないけど、とにかくその世界という肌に触れてコミットする、いちばん簡単で有効な手段だと思うよ。
ニートが辛いのは働けないからじゃなくて、働かないからだ。実際に働かないと働くことの意味(有意味か無意味かも含め)は決して分からないから、観念地獄で無数の鏡に囲まれたっきりで、それはそれは苦しいだろう。海を見たことのない人が、「巨大らしい」「塩からいらしい」「殺人者らしい」と怖がっているようなものであって、実際に触れてみると案外ぬるかったり気持ちよかったりするんだヨーみたいな。

ああ、こういうのを「百聞は一見に如かず」と昔の人は申しております。

働くことが人を救う、それがどんな仕事であってもそれによって世界にコミットできる。
あるいは「コミットしている」という感覚を持つことができる。たとえそれが幻想でも構わない。
「自分はここにいて、ここで手を動かすことが、誰かや何かに影響している」という単純な実感こそが、社会的生物として生きていくために必要なイニシエーションだと思うからです。

・・・と、私はそんなふうに思ってるんだけど、これは「どうせ生きていくのなら少しでもラクになる生き方をしよう」というスケベ心から導かれた思想なので、主張でもなんでもないの。そもそも私は綾波レイちゃんの「わたしが死んでも替わりはいるから」という台詞に、痛ましさより救済を感じた性質だからにゃー(投げた)。

もう私、勉強したくないんじゃないかな。

午後になったら髪を切りにいくんだ!バッサリいくんだ!!皆様もよい週末をお過ごしください。
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by saku_2425 | 2009-09-12 10:30 | うたかた日記
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