テロル

f0034543_20195326.jpg
イスラエルの都市テルアビブに瀟洒な家をかまえるアラブ系の医師アーミンは、最愛の妻シヘムとともに幸福な生活をおくっていた。だが、あの自爆テロがすべてを変えた。19名の犠牲者。その中にシヘムがいたのだ。呆然とするアーミンに刑事は衝撃的な言葉を吐く。「テロの首謀者はあなたの妻だ」。妻は妊婦をよそおって爆弾を腹に抱え、自爆したという。なぜ彼女がそんなことを…。アーミンは真相を探るため、妻のルーツを探り、やがて想像を絶する真実に辿りつく。イスラムの夫婦の見えざる亀裂を描き出す、哀しみに満ちた愛の世界。テロが横行する極限下、イスラム社会の至高の愛と究極の絶望を描いた傑作。

自爆テロが横行するイスラエルの都市テルアビブで外科医として働くアミーン・ジャアファリ。
彼はアラブ出身でイスラエルに帰化したという経歴を持っているが、差別を跳ね返しながら必死の努力でエリートとしての地位を確立しつつある。彼にとっては「目の前の患者の命を救うこと」が使命であり、イスラエルとパレスチナに横たわる歴史的な断絶は自分とは関係ない、と思っている。

やがてもたらされる、最愛の妻・シヘムが自爆テロの犯人である、という衝撃的な事実は、アミーンからこれまでの人生で獲得してきた社会的な全てを吹き飛ばし、精神をもボロボロする。最後に残った「裏切られたという怒り」をかろうじてエネルギーにして彼は妻の真実を知らんと疾走する。「愛し愛された日々は幻だったのか」「シヘムは原理主義だったのか」「妻は私を見捨てたのか」「いつから」「一体なぜ」・・・。

アミーンが抱える絶望、悲嘆、疑い、自暴自棄などは、比較的私たちが“共感”しやすいものです。
だから、「ああ、国は違えど人の感情は同じなんだ、夫婦愛、人間愛・・・」などとどこか納得してしまいそうになるのですが、そうは問屋が卸さない。アミーンに立ちふさがる壁は、アミーン諸共、読者の安易な共感をことごとく跳ね返します。

特に、アミーンが、乗り込んだ先のパレスチナで宗教的指導者と「会見」する場面では、双方の一言一言が骨がぶつかり合うような重みで胸に響いてくる。決して重なりあうことがない双方の主張。

「(中略)なぜ理由を知りたいのかだって?じゃあ言うが、私は何もかも洗いざらい知りたい。真相のすべてを知りたいんだ」
「どの真相かね。あなたにとっての真相か、それともあなたの妻にとっての真相か。自分の義務がどこにあるのかを考えた女にとっての真相か、それとも、悲劇から目を背けてばかりで自分とは無関係だと思いこんだ男にとっての真相かね。アミーン・ジャアファリさん、あなたはどんな真相を知りたいというのか(後略)」
「(中略)目を覚ましたらどうだ。私たちは同じ惑星に住んでいるが、同じ旗の下で暮らしているわけじゃないんだ。あんたは人殺しを選び、私は命を救う道を選んだ。あんたの敵が私の患者になるんだ。私は自分勝手でもなければ冷淡でもないし、人並みに自尊心もある。他人の暮らしを犠牲にしないで自分の暮らしを築きたいだけだ(後略)」
「(中略)自分の妻のことを私に話しながら、私が祖国のことを話しても耳を貸そうとしない。自分が祖国を持つことを拒むからと言って、他人にまであきらめろと強いるべきではあるまい。是が非でも手に入れたいと願う者たちが、昼夜の別なく命を差し出そうとしているのだぞ(後略)」


多くの読者にとっては、おそらくアミーンの主張のほうが「正しい」でしょう。「共感できる」でしょう。
でもヤスミナ・カドラは決めつけない。彼は淡々と相容れないふたつの世界・価値観を描く。「今は理解し合えなくてもいつか理解し合えるのでは」という安易な希望さえも提示しない。それは、アミーンが最後にたどり着く景色を見れば一目瞭然です。

・・・このラストが何を意味するものなのか、私はまだひっかかっています。だから考え続ける。
そして、ヤスミナ・カドラの別の作品も読んでみようと思います。
日本の出版界ではとかく「共感」がもてはやされ、猫も杓子も共感したがっているし泣きたがっていますが、他者をたやすく理解できるものならばこの世界はどんなにつまらないだろう。
映画『バベル』でも描かれていたように、分かり合えない人間たちが一緒に暮らさざるを得ない残酷な世界だからこそ、私たちは必死に「愛」や「希望」を口にして、求めるんだと思います。

テロル (ハヤカワepiブック・プラネット)

ヤスミナ・カドラ / 早川書房


[PR]
by saku_2425 | 2009-11-03 21:32 | 本をよむ
<< ブラバン 秋深し、ホットミルクと共に。 >>