カテゴリ:サクのつぶやき( 64 )

寄り添って祈る

このたびの震災で命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りします。
ご家族や大事な人を亡くされた方々にただお悔やみを申し上げます。
今なお不安な日々を過ごされている方々が一日も早く安心できることを願います。

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今回の震災に関し、たくさんの人々が「自分に何ができるのか」を考えています。実際に行動している人もたくさんいるし、新聞でもテレビでもネットでも、毎日いろんな立場からの主義主張が大声で叫ばれている。あるいは個人的な小さなつぶやきとしてTwitterに流れている。

「自分に何ができるのか」を考えるということは即ち、「自分はこの社会においてどのような存在であり、何者であるのか」を考えることです。自らを俯瞰し、自らが持っているものを客観的に測り、そしておそらく徹底的に無力を思い知ることは、たぶん、かなりつらいことです。

震災発生から3日目にしてテレビの電源を抜いてしまった私は、そのつらさに耐えられなかった。というより、とめどなく落ち込んでいく精神状態が怖かった。「日常に戻らなくては、無事だった私たちが元気を出さなくては、いつもの生活を営もう」そう思って気合を入れました。

そうして震災から10日が経った今、少し考えが変わっています。
無理に元気を出そうとしなくてもいいのではないか。日常に固執しなくてもいいのではないかと。

1万人もの人が亡くなった。1万もの人生が消えた。正直、私にはその数が実感としてわかりません。ただ自分の家族を、恋人を、友人を亡くした人が1万人の数倍いるんだということはわかる。
大事な人が目の前で津波に引きずり込まれていった。生死が分からないままの身内を求めて遺体安置所をめぐり歩く。生き残った人の数だけのたうち回る悲しみがある。一生続く苦しみがある。

「頑張ろう」「元気出していこう」「いつもの日常をしっかり送ろう」と言う声も真実で、とても大事だと思います。私も頑張ろうと思うし、元気出していきたい。無事な地域の人間が落ち込んでどうする、という気持ちも確かにある。でもそれができないこともダメだと思わないようにしよう、と考えるようになりました。

これから時間はかかるけど、被災地はきっと復興する。日本も変化しながら頑張っていくでしょう。
でも死んだ人は二度と還らない。永遠に復興しない、永遠に失われたものを思ってひたすら泣く時間が、被災地の方にも、被災地外の人々にも許されていいはずだ。そしてできることなら、私は傷ついた心に寄り添うような場所にいたい。励ますでも、導くでも、分析するでもなく。下手すると役立つこともなく。でもじっと見守っていたいし、寄り添って祈っていたい。

人には向日性がある。暗闇を存分に見つめた心は、いつか自然に光のほうへ向くでしょう。それを信じられる程度には、私は自分に自信をもっている。だから無理して日常に戻ろうとせずに、心が折れているならばそのままで、悲しんだり惑ったり考え込んだりしながら生活していこうと思います。


そしてやっぱり私は、苦しんでいる人たちに、温かくあかるい場所を提供できる人間になりたい。
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by saku_2425 | 2011-03-24 01:20 | サクのつぶやき

川の流れのように

英語に振り回された10月ももうすぐ終わり、同時に秋も終わったような気配ですね……。
大好きな秋なのにわたわたしているうちに過ぎ去ってしまった気がします。あああ。
でもようやく英語入り生活にも慣れてきた感じなので、11月は地に足つけて生活を楽しめるといいな。飲みごともいくつか入りそうだし、体調管理は万全に!

いや楽しいんですよ。今も馬鹿みたいに楽しい、日々が。それは本当。
特にイベントがなくても、いやないからこそ、毎日のリズムが心音のように私を安心させる。
時間の流れと自分のキャパシティを鑑みて、平日のブログ更新と読書を手放した。それは残念なことだけれど、思いきりよく現実に集中できるという点ではよかった。

時間だけが万人に平等だとよくいうけれど、それはもちろん正しいのだけど、一概にそれだけが正しいとも言えないんじゃないかと最近思うようになってきた。
「時間活用」という言葉に違和感を覚えるのは、時間は人間がコントロールできる類のものではないと思うから。時間に人間が活かされることはあっても、その逆は本当のところは、ない気がする。
暦をつくりだした人類は、太陽や星の動きをどれだけ長い間見つめていたんだろうな。そこに法則を見出すまでどのくらいの時間が流れたんだろうな。寒くなったり暑くなったり、植物が枯れたり実ったり、潮が満ちたりひいたり、そんな世界の呼吸をただあたりまえのこととして生きて死んでいったんだろうな。

カツマーの時間は確か「投資」「消費」「浪費」「空費」に分けられていた記憶がある。それは時間を「投資資産」として捉えたときのひとつの知恵であって、勝間さんの時間の価値観とイコールではないんでしょう。ふっくらした空費や、魂を痛めつけるような投資もあるだろう。
カツマー的時間とは「君にこれだけあげるから、どう使っても君の自由だよ。殖やしてもいいし、好きなもの買ってもいいよ」と神様からもらったお小遣いみたいなものなんだろうな。人間って愛らしいな。

というような厄体もないことを考えるのに、冬はちょうどいい季節です。投資だろうが浪費だろうがお構いなしに時間はじゃんじゃん流れていくわけで、そのキラキラとした粒子を髪の先とか肌の表面に感じるたびに私はきっちり「幸福になる」。なぜでしょう。私にとっての時間とは、豊饒な光の河のようなイメージだ。

幸せな人間だねえ。楽しい、馬鹿みたいに楽しい、日々が流れていくことそのものが!
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by saku_2425 | 2010-10-30 13:20 | サクのつぶやき

「引き寄せの法則」に思うこと

『引き寄せの法則』という有名な法則があるらしいのですが(スピリチュアルな成功哲学みたいな)、こないだ図書館で類書がズラッと棚に並んでいるのを見て興味を持ちました。
へえ、1ジャンルを為すほどメジャーな法則なんだな~と思って。
で、amazonで調べてそのうちの一冊を買ってみました。

要するに、自分が意識していることが引き寄せられて現実になる、良いことも悪いことも。
だからマイナスの言葉を使っちゃいけない。いいことをイメージしなきゃ!みたいなことですね。
よく聞く話なのだけど、私はどうしてもこの手の書籍、思考回路が苦手なのだ。ムズムズしちゃう。
胃がむかむかするのを我慢しつつ読みながら、何故なんだろう・・・と考えていましたが、分かった。

1.「お金持ちになる」「成功する」「幸せになる」等のひとつひとつに概念的に引っかかる。
お金持ち=幸せというのは前提なの?とか、成功の定義って何?とか、そもそも“幸せ”は全人類の必修教科なのか?とか色々考えちゃって困る。ベストセラーなので、たくさんの人々にするっと抵抗なく沁み込んだらしいその前提でつっかえて先が思いやられます。文学と自己啓発は相性が悪いのか。
でも、一事が万事そんなアメリカンな割り切り(偏見?)でいいのか。何だか物質主義の理想をスピリチュアルな手段で叶えるって感じがして、すごく矛盾を感じるんだけど。

2.ネガティブな言葉は使うな、という指摘にムカッとくる。
だいたいポジティブだのネガティブだの、言葉を勝手に分類する態度が解せない。
それから、ネガティブはだめ、と言っちゃうところに人間としての貧しさを感じる。
私はむしろ、不誠実で浮ついて内省を欠いている、言葉をアクセサリーのように用いるポジティブワード(本当にそんなものがあるとしてな)より、その人の奥から滲んだ真摯なネガティブワード(ああ嫌な言葉)に力をもらうよ。言葉を信奉する者として言霊の存在は絶対的に信じるけど、口がぺろんと吐き出した無責任な言葉に魂は宿らないよ。

3.基本的に、私は人生を自分でコントロールできないものだと考えている。
人生は思いがけない贈り物だと思っている。大きな宿命の流れのなかでは自分が意識して変えられることなどごく僅かで、そもそも何が幸福で何が不幸かなんて人間に分かるものかい?手に入れないほうが幸せなものだってたくさんたくさんあると思う。「願えば叶う」ことが100パーセント良いことだとは到底思えない。だって、自分が願っているものが正しいか否かなんて、どうして分かる?
「人生は自分でコントロールできる」という思考の傲慢さが、無邪気さが、たぶん私は怖いんだな。

・・・まだ10ページも読んでいないのですが、そんなことばかり考えて進まない(笑)
でも、これを書いた人が非常に真剣で、本気で伝えたいことだけを書いているということは伝わります(そうじゃない本もいっぱいある)。だからその誠実さに頭を下げる気持ちで読んでおります。

やっぱり人を惹きつけるのは、その人が心底伝えたいと思っている真摯な言葉だけなんだよ。

※実際の書籍を掲載していたけど、レビューでもないし、ただこれをきっかけにつぶやいただけなので削除しました。書籍が悪いわけではまったくないからね!!
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by saku_2425 | 2009-11-26 00:25 | サクのつぶやき

エンの話。

以前、占いで「あなたの一生の課題は『人付き合い』です」と言われたことがあるのだけど、それはおそらく人間として生まれた以上誰もが避けられない課題であると思うわけですよ、程度の差こそあれど。
人が抱える悩みの50%は「人付き合い」なんじゃなかろうか。いじめ、恋愛、結婚、離婚、家族問題などなど、人がいちばん絡むのは植物よりも動物よりもやっぱり人だから、必然だと思う。
後の50%が「金銭問題」とかかも知れないけど、それだって元を辿れば、経済活動は必ず「人付き合い」に絡むわけで、広義の「人付き合い問題」と解釈できなくもない。戦争だって、貧困だって、犯罪だって、人が関わる以上は人付き合いかも。「健康問題」は、うーん、これは神様との関係性の範囲になるのかな。

・・・いや、こういうサクノート的なことをここで書くつもりはなかったんだった。

ただ、ここ数日ぼんやりと考察していたのが、「縁の繋ぎかた」と「縁の切りかた」であるのです。
私はけっこうせっかちというか、自分勝手というか、主体的にモノゴトを進めないと落ち着かないタイプ(人はそれを仕切り屋と呼ぶ)なのですが、人との「縁」はさすがにそうもいかなくて、「この人とお近づきになりたいな」と思っても、黙って成り行きに任せているというケースが多かったのです。
同性の友人も、仕事上の関係も、恋愛を含んだ異性との関係もすべて同じ、「縁任せ」。
近づくも離れるも縁。極論すると、すべて「神様まかせ」的に生きてきたわけです。

でもここ最近、「本当にそれでいいのか?」と自問自答する機会がトトトンと頻発したような気配。
「あの人には積極的に近づくべきでは」「この縁は切ったほうがいいのでは」という漠然としたサジェスチョンのようなものが心の底にざわわ、とうごめくのをひっそり感知しちゃったりして。
これまでのように、いつまでも外的要因を待ってばかりっつーのも本当のところどうなんだろね、と改めて考えたりしているこの頃。そして若干の知恵熱が。向いてないのね・・・。
しかし、「縁を切る」ってどうやればいいんだ。「私にはどうもあなたとの縁が悪い方向に作用しているようなので、今後一切の連絡を絶たせていただきたいのです」って言うのか。人としてそれってどうなのか。

非常に漠然とした文章になっておりますが、ぐるぐるを少し整理する意味も込めて記しておきます。
記す場所をサクノートにしなかったのは、何となく、うたかたにもこういうテイストがあってもいいかな、たまにはさ、というかなりの(というかほぼ全ての)気まぐれなので、気にしないでください。
サクさん、この頃ちょっぴりやさぐれております。やっぱり「人付き合いが一生の課題」だけあるさ。
ちなみに占いの先生には、「だから油断すると一生結婚しないから、気をつけてください」とも言われております。油断って何!人生に思いがけない緊張感を強いられています。
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by saku_2425 | 2009-06-29 01:25 | サクのつぶやき

私の頭の中のつぶやき

気づいたら5月も最終週で、月末の月曜らしくあたふたしていました。
地に足が着かない感じなのは何故?ピクニックでの日焼けのせいかしら(首筋がいたいいたい)。
お昼休みにお弁当を食べながら、ぼーっとエステサロンを検索したりしてました。

以下、頭の中の呟き。

エステに行きたいな。アロマなやつ。静かなところにあるサロンがいいなあ。
乳がん検診にも行きたいな。クリニックに電話せねば。
8月に東京であるRENT公演のチケットも受け取りに行かなくちゃだった。
「6月になったら飲もう」と約束している人が3人もいるよ。
ユミコのところのベビすけくんにもいい加減に会いにいかなくちゃ、もうすぐ1歳になっちゃう。
パーマを繰り返しかけたせいで髪がパサパサだから、美容室でトリートメントしてもらおう。
あ、父の日のプレゼントも考えなきゃ。楽天で探してみよう。
高山なおみさんの『チクタク食卓』、書店にないからamazonで注文しようか。
もっと暑くなったらバーベキューがしたい!そんでビール飲みたい!

まるで川のようにさらさらと流れ続ける私の思考。・・・雑念とも言います。
そんな思考の川を、スイマーたちがちゃぷちゃぷ泳いで渡って迎えに来ました。
それでは皆さん、おやすみなさい。
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by saku_2425 | 2009-05-26 01:45 | サクのつぶやき

自我というもの

昨夜観た「レボリューショナリー・ロード」のことを色々と考えていたらなかなか寝つかれず、今朝もぽわんと起きて、仕事をしながらまた考えていました。どんだけ~

思うのは、やはりあの妻のこと。
彼女が陥った場所というのは、きっと誰でも見たことがある場所。
真夜中に目が覚めて、思考だけがぐんぐん羽を広げて身を覆いつくし、これ以外の考え方があるなんて信じられない、今、この思考だけが真実、と思い詰めてしまうあの感覚。

それをさらに強固に縛ったのが、「自我の呪い」。
「わたしはこんな人生を送るはずじゃない」「ここはわたしのいる場所じゃない」「なぜわたしはここにいるのだろう」「わたしは間違っている」「わたしは本当に生きたい」・・・
何を見ても映るのは「わたし」。夫がいても子どもがいても、求めるのは「わたし」。
わたし、わたし、わたし、わたし、・・・いつしか世界は四方を鏡で囲まれた密室と化す。

仏教では「無私」を最高の境地として捉えています。つまり、「自分」は悪なのだ。
彼女を捕らえたものは、たぶん私たちがみんな持っている「自己実現」の欲望でしょう。
決して特別な人ではなかったはず。いくらか自意識過剰な面はあったにせよ、「自分が望むように生きたい」と願ったにすぎない、ごく平凡な女性だったと思います。

でも、自分で選んだはずの結婚、妊娠、出産、引越しなどが、だんだん自分の自由を奪っている「憎むべき相手」のように思えてくる。自分が何を望んでいるのか分からなくなる。
「自分らしく生きる」ということさえ、夫のいる身では叶わない。家庭が彼女を閉じ込める。
夫は分かってくれない、世間は分かってくれない、彼女の言葉は届かない・・・。そうやって次第に狂気に落ちていく妻は、しかし、本当に自分を閉じ込めているのは自分自身なのだときっと分かっていたのでしょう。

時代も大きかったんだろう。1955年、皆が同じ服装をして、同じ価値観を持つアメリカ。
選択肢などなかった。思想の自由もなかった。気づかないけれど、囚人同様だった。
精神を病んだジョンだけが思ったことをそのまま口にすることができる。でもジョンの台詞が精神病者なら、「セックス・アンド・ザ・シティ」の登場人物たちはいったい何なんだ・・・?

「本当の自分」に恋焦がれ、「今の自分」を殺したいほど憎み、「自分」に閉じ込められる。
ずっと付き合っていく唯一の存在だからこそ、「自分」との関係は人生の永遠のテーマだ。
あ、「結婚」についても色々と考えたけど、それはまあ、今はいいや。
とりあえず、「結婚」は大部分は運だよなあと思いました(無責任!!)。
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by saku_2425 | 2009-01-28 23:00 | サクのつぶやき

トーンが明るすぎるのが問題だ。

今日は太極拳に行って、バランスボールで筋トレしてきました。
ランチは久しぶりにMUJICAFEの季節のトマトポタージュスープセットでした。
れんこん、パプリカ、ルッコラ、カボチャ、しめじなどが入っていたよ。秋・冬MIXですね。

・・・なんか、こういう日記に飽きてきたぞ。

グルメ、美容、運動とな。つまんないなあ。健全すぎて。
この頃、脳があまり活動してない気がします。
まあ、サクノートが別館的な役割を果たしているせいもあるのでしょうが、
「うたかた考察日記」がちっとも「考察」してないところに自分で物足りなさを感じる。

つまんにゃい。

でも、こうやって棲み分けていくのかしらねー。
複数のブログが、というより、自分の中の複数の人格が。
「考える=書く」という悪癖を持ったサクさんは、サクノートに引っ越してるようだ。
じゃあ、うたかたのサクは、より俗世的でポピュラーな親しみやすいキャラかしら。
ついでに言うなら、mixiはいちばん「何も考えてない自動筆記」だよなあ。

どれがいちばん素の私、という問題ではなく、もちろん全部がまぎれもなく私だ。
3つの異なる家を建てたら、次第にそれぞれでの暮らしぶりが異なってきた感じか?
まさに、「まず環境ありき」というやつだな。面白いですね。

と、久しぶりにうたかたでつらつら喋ってみました。

さて、明日のランチ、明後日のディナーとグルメネタが続きます(予告)。
週末の3連休はバチッとスイッチを切り替えて、誰にも会わず、本を読みまくるぞ!

f0034543_052431.gif要はバランスなんだろうね
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by saku_2425 | 2008-10-29 23:57 | サクのつぶやき

傾向と対策

すごく久しぶりの「サクのつぶやき」。

この頃、「傾向と対策」ということについてつらつら考えています。

私を知っている人はご存知のように、私はあまりモノを所有しません。
部屋にもモノを置かないし、装飾品もないし、使わないモノはけっこうすぐ捨てる。
プレゼントも「消えもの」を好むし、お金を遣うときは旅行とか食事とかの「思い出」系です。

「サクはシンプルなのが好きなんだねー」とよく言われますが、実は、もともとは違うのだ。
「シンプルなのが好きだからモノを持たない」のではなくて、
「整理整頓が下手だからモノを持たないようにしている」というのが正しいのです。

どうやら私は整理整頓が下手で片付けが苦手だ、という自分の傾向を把握したときに、
それに善処するために「モノを持たない暮らしを好きになる」という策を講じました。
これが奏功して、今ではモノがない楽しさやすがすがしさにすっかり慣れてハッピーです。

これが私の「傾向と対策」。
そういうのって、けっこう広く当てはまるのではないかな。

たとえば、肌が敏感で化粧に弱く、いろんな化粧品を試し続けてる人っていますね。
そういう人は、思いきって努力の方向をえいっと転換して、「化粧をしないでいいくらいきれいな素肌」を目指すってのはどうかなあ。
高価な化粧品を買うお金をスキンケアにあてて、食生活や生活習慣を見直して続けていけば、遠くない将来にそれは叶うと思う。

たとえば、人と関わるのが苦痛で、会社の人間関係がいつもうまくいかないという人。
そういう人は「人間関係をうまくいかせる」ための努力より、「できるだけ他人と関わらないで生きていく」ための努力をしたほうが効率的な気がする。
手に職をつけて独立するとか、それが無理なら、逃避できる趣味を見つけるとかさ。

自分の性質を変えるより、環境や考え方を変えるほうがずっとラクという気がする。
だから、「自分の傾向」を掴んだら、すぐにその対策を考えて行動を始めたらいい。
すぐには成果が出なくても、5年、10年と続けていったらうまくいくんじゃないかな。
5年間スキンケアを続けたら化粧しなくてよくなるかも知れないし、10年間何かを学んでコツコツと努力したら、やがて会社勤めをしなくてよくなるかも知れないし。

傾向と対策・・・。結局それが人生を泳ぎきるコツなのかも、なんて思うのです。
だから、自分の傾向が分かってくればくるほど人生は楽しく、面白くなってくるはず。
今までやり方が分からなくてうまく行かなかったことがうまくいくとすごーくうれしい。
もちろん、人生のステージが進んでいくと出会う敵も手ごわくなっていくんだけど、基本的には自分の傾向を把握することがいちばんの強みなんじゃないかなー。

人は、自分にふさわしい場所にいるときはすごく強いと思う。
そういう場所は自分で見つけるしかないし、道しるべは自分の中にあるんでしょうね。
いろんな場面で自分を観察して、考えて、なるほど!と膝を打つ繰り返しです。
夏休みは終わっても、観察日記は続き、旅も続いていくのです。

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by saku_2425 | 2008-08-31 22:32 | サクのつぶやき

わたしの好きなことば

今週も忙しくなりそうです。月曜から頑張りました。えっへん。

ところで、いきなりですが、恋人に言われて嬉しい言葉って何でしょう。
さっき、台所で洗い物をしながらボケーッと考えていたのだけど(なぜそんな思考になったかは覚えておりません・・・)、
ああ、私はあれだなあという言葉がありました。

「おやすみ」です。
どれだけ寝るのが好きなんだ私。

俵万智の短歌に、「寒いねと言えばとなりで寒いねと答える人のいるあたたかさ」というのがありますが、この「おやすみ」バージョンですね。
恋人に限らず、私は人と交わす挨拶(?)の中で「おやすみ」がいちばん好きだと思います。
そもそも言葉の響きがいいよね、「おやすみ」。「いやなことは全部忘れてゆっくりお休み」って
言われている感じがします(妄想力が豊かです)。

村上春樹の所謂「青春3部作」(『風の歌をきけ』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』)を締め括るのは『ダンス・ダンス・ダンス』という小説で、とても好きなんですが、この小説のラストシーンは主人公が恋人にある一言を伝えるというものです。
「なんて言えばいいのかな」と主人公は考えるのです。
「いろんな言い方がある。様々な可能性があり、表現がある。-その中からいちばんシンプルなものを選んだ」として、彼は恋人にそっと言葉をかけるのですが(何て言ったか気になる人はぜひ読んでみてね)、ここを読んだ私は、「自分だったら何を選ぶかな」と考えたものです。

好きな人にかける言葉を一言だけ選ぶなら、私はやっぱり「おやすみ」の気がするなー。
そして、「好きだ」とか「愛してる」とか言われるより、「おやすみ」と言われたときのほうがときめく気がするなー。メールでもいいな。うんうん。

・・・なんでこんなことを熱く書いてるのだろうか。疲れたのだろうか。
まあそんなわけで、言葉フェチの私のツボは「おやすみ」にあるんだなと発見した夜でした。
ではみなさん、「おやすみなさい」。
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by saku_2425 | 2008-04-08 00:52 | サクのつぶやき

ものをつくるということ

お風呂でテレビを観ていたら、情熱大陸が芸術家の大竹伸朗さんでした。
福岡市美術館でやっていた「大竹伸朗 路上のニュー宇宙」は、気になりながらも最後の一歩で食指が動かず、結局行かなかったのだ。

でも興味はあるのでテレビを観ていたのだけど、「何も考えてない」「頼まれて描くことはしない」と言いながら巨大な絵(?)に筆を振り下ろす大竹さんを見て、
「ああ、私は絶対にクリエイターにはなれない」とつくづく思いました。

「ものをつくる」能力が自分にはないのかもなあ、としみじみ感じたのはけっこう最近のことで、
周りに「ものをつくる」友人が増えたことから自分と比較してみて、そういう考えに辿りついた。
私はゼロから何かを生み出すこと自体には興味がないのだ。
私が興味を持つのは、すでに存在する「何か」を徹底的に観察して、理解することなのだ。

芸術を観察し、人を観察し、社会を観察し、人生を観察し、世界を観察する。
いつもいつも「ただ見てるだけ」だな、そして見ていることを理解したくて、文章を書くんだな。
小説を書きたいと言いつつ書かないのは、本当に書きたいのは「小説」じゃないんじゃないか?
じゃあ何だろう、観察日記か。考察日記か。それじゃこのブログじゃん。

だから小林秀雄にすっごく興味がある。小説家を目指して、でもそれが叶わずに芸術を批評する側に回ったその道筋、心理的葛藤、「小説でもある文芸批評」をつくりあげた小林秀雄。
真の芸術家である中原中也にどのような思いを抱いたんだろうなあ。嫉妬か、愛か、尊敬か?
そして詩人と批評家の作品は、どのように影響を与え合うのだろう。

うーん、やっぱり行こう!山口にある中原中也記念館の特別展示、「小林秀雄と中原中也」。
バタバタのスケジュールだけど、今週末に何とか行ってみよう。
・・・ただのつぶやきメモでした。きゃー!こんな時間。もう寝ます、おやすみなさ~い!
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by saku_2425 | 2007-09-10 02:22 | サクのつぶやき