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3連休でリフレッシュ!

残暑と初秋が押しくらまんじゅうをしているような気候の3連休、一ヶ月ぶりに長崎で過ごしてきました。
母の買い物に付き合ったり、家事をしたり、祖父母と5人で敬老の日の食事会に出掛けたりしたほかは、ずっと読書に没頭させてもらいました。ここ数週間まともに小説を読んでいなかったので、干からびた地面が水を吸い込むような勢いで文字が沁み込む。ふーっ。生き返りますなあ!

会社で、「最近は仕事の本や英語の本ばっかりで、日本語の小説を読むひまがない」とこぼしたら、新任の上司が「1年間くらい我慢したら?」と言い放ちやがった。「死にますよ」と即答したけど。
どんどん増えるやらなきゃいけないこととやりたいこと、そして限られた時間。ついでに体力とお金も。
油断したら渋滞を引き起こすそれらを、ピッピッと交通整理してうまく流す術を身につけなきゃいけないなあ。

ちなみにこの3連休で読んだ本はこちら。

●海堂尊『アリアドネの弾丸』(光文社)
●恒川光太郎『南の子供が夜いくところ』(角川書店)
●角田光代『森に眠る魚』(双葉社)
●島田雅彦『君が壊れてしまう前に』(角川文庫)
●中島京子『さようなら、コタツ』(マガジンハウス)

さらっと読める国内作家でストレッチして、積読になっている海外作家の長篇群にジャンプしようと思っていたのですが、やはり運動神経がなまっているのか行き着けず・・・。ベストセラーとなっているマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)もずいぶん前に買っているのだけど、最初の数ページでずっと足踏み状態です。きー。

でもいいリフレッシュになりました。やっぱり仕事とは違う脳の部分をぐにぐに動かさないと、私にとっての本当のリフレッシュにはならないみたいです。休むのも大事だけど、運動も大事だね。
ちなみに今回読んだ5冊はどれも面白かったです。レビューを書きたい!という程のものはなかったけど、ずっと待ってた海堂さんの桜宮シリーズ最新刊も読めたし、書店で見かけるたびに表紙がずっと気になってた恒川光太郎さんも読めたし、よかった。

明日からはまた仕事モードに切り替えて頑張ります。そして気づけばいつしか秋本番なんだろうな。

アリアドネの弾丸

海堂 尊 / 宝島社


南の子供が夜いくところ

恒川 光太郎 / 角川書店(角川グループパブリッシング)


森に眠る魚

角田 光代 / 双葉社


君が壊れてしまう前に (KADOKAWA新文芸)

島田 雅彦 / 角川書店


さようなら、コタツ

中島 京子 / マガジンハウス


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by saku_2425 | 2010-09-21 02:03 | 本をよむ

週末のミステリー読書

予定通り、週末は長崎で過ごしました。
土曜の夜にフライングで父の日のお祝いをした後、家族3人それぞれの自室に引き上げて読書。
私が福岡から持参したのは返却期限間近の図書館の本で、湊かなえ『少女』とエリザベス・キューブラー・ロス『ライフ・レッスン』の2冊。実家で読み終えて福岡に戻り、その足で返却しようと目論んでいたのだけど、実家の本棚に母がやはり図書館から借りてきた宮部みゆき『楽園 上・下』を見つけちゃう。

あ、これ読みたかったんだよね。文庫になったら買おうと思ってたんだよね。
一瞬逡巡したものの、結局欲望には勝てずに抜き取ってしまいました。

まずは湊かなえ『少女』を読了。『告白』『贖罪』と読んで3冊目の湊さんですが、これがいちばん丁寧につくられていたように感じました。あくまで感じですが。
殺人が起きる以上、せめてその「動機」をリアルに感じたいというのがやたら人死にが多い小説に対する私の2番目の願いです(1番目の願いは、「とにかく面白く読ませてほしい」。)。
『告白』『贖罪』はその願いが叶えられなかったのですが、『少女』は半分くらい、叶った、かな。

しかし終盤近くの展開に、「お、何かいい感じじゃない?友情チックで」と初ハッピーエンドをうっすら期待したのですが、いざ最後の着地点は予想もつかない逆・大団円でしばし唖然。
み、湊かなえさん恐るべし。ここまで悪意を貫いてくれたらいっそすがすがしい読後感。
『告白』のエキセントリックな派手さはないものの、なかなか読み応えのあった『少女』でした。

サッカーをちょっと観て気分を切り替えた後、宮部みゆき『楽園』に取り掛かる。

・・・ああ、これ『模倣犯』の9年後という設定なのか。模倣犯の記憶が既にあやふやだったのが惜しかったです。続けて読んだほうが確実に面白かっただろうな。
それでも宮部さんの重いテーマへの敬意をもった接近、どこまでもニュートラルで明るささえ滲む筆致、命を吹き込まれた登場人物たち、緻密でありながら風通しのいい構成など、おおいに感心し、おおいに楽しませてもらいました。湊さんとは全然ちがうところで読者層を持つ方だと思う。

一気に読み進め、ラストで宮部さんの優しさに涙が溢れ、本を閉じたら3時半でした。
6時間かかっちゃったけど、満ち足りた気分で眠りに就くことができました。小説よありがとう。

ここしばらく仕事関係のごたごたが続いていることもあって、体内エネルギーが枯渇気味です。
今週は「会社を出たら仕事のことは考えない」「部屋では好きなことをする」「ネットはあまり触らない」「たくさん寝る」を心掛けて、自分の中の井戸をこつこつ蘇らせたいと思います。
火曜と金曜にとっておきの楽しみをスタンバイさせているので、いざとなればそれを軸として飛び石のようにポンポン過ごすんだ!楽しい一週間になりますように。それではおやすみなさい。

少女 (ハヤカワ・ミステリワールド)

湊 かなえ / 早川書房


楽園〈上〉

宮部 みゆき / 文藝春秋


楽園 下

宮部 みゆき / 文藝春秋


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by saku_2425 | 2010-06-21 00:41 | 本をよむ

読んでいた本たちなど。

バタバタしていた2ヶ月あまりの間にも、小説は読んでいたわけで。
でっかい現実をちっぽけな脳で受け止めながら、それが破裂せずに済んだのは本のおかげ。
夜中の集中治療室で、個室で眠る母のベッド脇で、実家の布団の中で、隙あらば読んでいました。
それはもう、荒れ狂う海に落ちた人間が漂う木切れを掴むような必死さで読んでいましたよ。

母が生きるか死ぬか、というギリギリの最初の2週間くらいは、ひたすら春樹を読んでいた。
以前、村上春樹が「どのページを開いても濃密で外れが無い」みたいなことをチェーホフについて言っていた記憶があるのだけど、私にとってはまさに春樹がそういう作家なわけで、『ダンス・ダンス・ダンス』の文庫本2冊(上・下)をいつでもカバンに放り込んでいました。で、パッと開いて読む。

他には詩集も試してみたのですが、これはダメでした。私が持っている詩集と言えば中原中也とか高村光太郎とかゲーテとか、そんなメジャーどころなのですが、雄弁な一文字一文字が神経をガリガリ削る感じで即座にギブアップ。因幡の白ウサギ状態での読書ってなかなか難しいです。
で、詩集がダメなら短歌はどうだ!と、穂村弘『ラインマーカーズ』を開いたらこれは大丈夫でした。
むしろ、一句を飴玉のように味わいつづけることができるので、せわしない生活には最適だった。

春樹も穂村さんも、「生が全てではない」ってスタンスなのが読んでて救われたんだと思います。

で、ちょっと状況が落ち着いてきたら、今度はノンフィクションを読み出した記憶があります。
柳田國男の『犠牲(サクリファイス)』とか、内田樹の『下流志向-学ばない子どもたち 働かない若者たち』とか。
この『下流志向』はかなり衝撃的で、思わず付箋を貼りまくってベッドの母が目覚めたのにも気づかず読みふけってた。「サクちゃーん・・・」という弱々しい呼びかけで慌てて本を置いたりしてた。
これはちょっとね、後でレビューしますね。刊行からかなり経ってるベストセラーを今さら、ですけど。

この間、医学書類を読み飛ばしつつ、新しい小説を読み出したのは3月半ばから。
新しいといっても新刊ではなく、信頼している作家の未読の小説、という限定付きでした。
ここで出会ったのは津原泰水の『赤い竪琴』。これはもう、ふるいつきたくなるほどの絶品でした。
思わず2回読み返したくらい好みにどんぴしゃ。恋愛小説が苦手な私をして「こんな恋愛小説を書いてみたい!!」と思わしめるほどの美しさ。そう、美しい。ただただ美しい。見事だった~。

4月になるとだいぶん落ち着いてきて、本当の「新刊」を楽しむ余裕も出てきました。
村上春樹の『1Q84 book3』や、三崎亜記の『コロヨシ!!』など。『コロヨシ!!』は発行からかなり経っての購入だったのだけど(これまでの作風と違ってるようだったし、共に冒険できるほど心が強くなってなかったから)、勢いで楽しめました。これ、アニメ化してくれないかなー!「掃除」競技の画はかなり映えると思うんだけど。
そうそう、羽海野チカの『3月のライオン4』も長崎で読みました。痺れる。痺れるねえ島田さん。

ちなみに映画はまったく観ていません。時間がない、携帯がいつ鳴るか分からないという理由もあるけど、やはり映画のエネルギーを受け止める自信がないのだろうと思う。
読書は幼い頃から慣れ親しんできて、付き合い方も知り尽くしているけど、映画はまだまだだー。
映画だけではなく、ほとんど映像を観なかったです。TVもつけてない。

音楽は、3月まではASKAのみを聴いていました。福岡・長崎を往復し続ける間、BGMはひたすらASKA。あるいはチャゲアス。弱ったときって、人はいちばん信頼しているところに回帰するのね。
ASKAの何を信頼しているかというと、やはり言葉。春樹の小説のように、穂村さんの短歌のように、「この言葉以外はありえない」という域まで磨きぬかれた絶対の揺るぎなさがあるのです。
三者に共通するのは、うわっつらだけの言葉がない、というところ。そこに安心するのかもしれない。

4月からはオザケンとか聴きだしましたけど、『LIFE』のテンションの高さに疲れたりしてた(笑)
RADWIMPSもけっこう疲れた。好きなんだけど、やっぱり若いですね。若さは勢いだ。
あ、RENTのサントラは映画版、舞台版ともにヘビロテでした。これは良し。(何が違うんだろ・・・)

そんなこんなで過ごしていた2ヶ月あまりでした。やっぱり本はいいね!
「目の前のことだけが全てではない」ということを繰り返し私に言い聞かせて励ましてくれました。
これからも本を大事に大事にして、ささやかながら相思相愛を続けていきたいと思います。
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by saku_2425 | 2010-05-10 01:24 | 本をよむ

パパは多重債務者(サイマー)!

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見て見ぬふりもできない、田舎の親の借金トラブル、病気、離婚―。待ったなしの状況を、一人娘が切り抜けていく。解決のキーは「先送りしない」「抱え込まない」「助けすぎない」!30代現役編集者の著者が瑞々しく綴った、等身大ノンフィクション。

久しぶりの「本をよむ」エントリーは、友人・さやかさん(筆名:桂みなみ)の処女作でございます!
多重債務者となったお父さんに振り回され続けたお母さんと、援助し続けた一人娘のさやかさん。
波乱万丈の7年間の道のりをリアルに素直にいきいきと著したノンフィクションです。

私はゲラ段階で読ませてもらったのだけど、何て透明であかるい筆致だろう!と感動しました。
構えず、かっこつけず、分析せず、まさに体当たりでじたばたするみなみさんが本当にいとおしい。
そしてみなみさんを取り囲む人々(旦那さんはじめ)のやさしさが、またじんとさせてくれるのです。

とか言いながら実は私も「取り囲む人々」のひとりだったりする。えー、登場してるのです。

ハリケーンのような実家のゴタゴタに疲弊していた2008年(実際はもっと前からあったけど)。
そんななか、さやかさんのブログ(今はもう閉まっちゃった)を偶然見つけた7月。
思わずコメントをしてしまい、そこからメールのやりとりが始まって、初めて対面したのは同年12月。
そんな出会いが詳細に記されているのは本書の「聡美さんとの出会い」という章です。

そう、私は本書で松坂聡美さんという素敵な名前をいただいています。ま、サクなんですけど。

本書で公開されるサク実家の状況はけっこうヘビィに見えるでしょうが、私がこれまで言ったり書いたりしなかったのは、遠慮だったり、身内の恥をさらすのが嫌だったりという理由ではない。
実家の問題を自分の問題として捉えて語るのが嫌だった、というのがいちばん近い気がします。
言葉にするというのは考えるということ。それをしなかった私は、たぶん一種の思考停止状態だったんだろう。いつか自分の言葉で語るときがくるのかどうか、今は分かりません。

初めて対面したとき、本書にもありますが、さやかさんはこの本の原稿を書き始めたところでした。
「書くこと自体がつらくて吐きながら休み休み書いてるから、なかなか進まないんだよね~」と笑う彼女に、その気持ちが痛いほどわかって、それでも書こうとしている彼女の必死さが伝わって、「ああ、このひとは強いひとだ、私の代わりに書いてくれてるんだ!」という思いで胸がいっぱいになって言葉が出なかった。
その大きな掛け値のない感謝の気持ちはずっと続いています。さやかさん、本当にありがとう。

機会があれば皆さんもぜひ書店で手にとってみてください。
私がさやかさんに送ったメール(ふたりはメル友)などもほぼ原文ママで載っています。
自分の文章がこんなかたちで紙媒体に載るとは思ってもみなんだよ。
そして、さやかさんが描写するサクの外見・・・。こっぱずかしい。アハハハ(と笑って誤魔化す)。

週末には、この本の出版を楽しみにしていた母に渡してきます!(音読してと言われたらどうしよう・・・)

実録 パパは多重債務者(サイマー)!

桂 みなみ / 合同出版


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by saku_2425 | 2010-04-02 01:18 | 本をよむ

2010年1月に読んだ本

2月も一週間を過ぎてからようやく2010年1月に読んだ本でございます。
正月があったからなあ、量は多いけど変なラインナップです。あと、寝込んだからな(笑)

●贖罪(上・下)/イアン・マキューアン(新潮文庫)
●蘆屋家の崩壊/津原泰水(集英社文庫)
●モテたい理由/赤坂真理(講談社現代新書)
●【新釈】走れメロス 他四篇/森見登美彦(祥伝社)
●夜想曲集-音楽と夕暮れをめぐる五つの物語/カズオ・イシグロ(早川書房)
●少年になり、本を買うのだ-桜庭一樹読書日記/桜庭一樹(東京創元社)
●書店はタイムマシーン-桜庭一樹読書日記2/桜庭一樹(東京創元社)
●君は白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で)/宮藤官九郎(太田出版)
●海に落とした名前/多和田葉子(新潮社)

上から3冊は別途レビューしています。特に『贖罪』『蘆屋家の崩壊』は大事な本になりました!

森見登美彦の『【新釈】走れメロス 他四篇』を遅ればせながら図書館で借りてみたのだけど、これも良かった。まずこの企画を立てた編集者さんが凄い。森見氏の武器を熟知しているのだと思う。
内容はタイトル通り、太宰治の『走れメロス』や中島敦の『山月記』などの日本近代文学の超有名ドコロを、森見氏が自由な発想で「新釈」したものです。
この「新釈」がかなり大胆で、舞台は現代の京都だし、『走れメロス』なんて『夜は短し歩けよ乙女』とリンクしちゃってるし(しかも超ふざけてる)、五篇全てがどこかで繋がっているという設定も凝っている。
いちばん気に入ったのは坂口安吾の同作をベースにした『桜の森の満開の下』。『きつねのはなし』を彷彿とさせる水墨画のような恬淡とした語り口がぞっとするくらいの美しさを醸し出してる絶品だと思います。

カズオ・イシグロ『夜想曲集-音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』は、イシグロ初の短篇集。
んんー、彼は長篇のほうが好きかも。悪くはないんだけど、何だかのっぺりしていて手触りがないというか。・・・で、何が言いたい、的な。チェーホフが好きらしいんだけど、チェーホフの短篇ってもっとこう、一見さりげないんだけど実は彫刻刀でコリコリ彫ってるような鮮やかさがあるじゃないすか。
登場人物たちがみんな思わせぶりなくせに行動も心情もハッキリしない、というのも苛々した要因かも。でもこれは英国的ということなんだろうかね。

桜庭一樹の読書日記は、本当は新刊の『お好みの本、入荷しました-桜庭一樹読書日記3』が読みたいのだ。でも単行本で買うことにためらいがあるのだ。けちなのだ。なので既刊をもう一度読む。『少年になり-』は文庫で買い、『書店は-』は図書館で借りてくる。けちなのだ。
以前は、桜庭さんが読んでいる本で興味が惹かれたものにチェックを入れるために読んでいましたが、今回読み返してみて、桜庭さんの日記そのものに興味がうつっていることに気づく。彼女の「文芸」にかける執念は凄い。日記なんだけど、どこをとっても「文芸愛」がぎちっと詰まっている。いい本だ。
やっぱり新刊買おうかなあ。でも、ウェブで読めるんだぜ、実は。

クドカンは文章もうまいなあ(当たり前か?)。下ネタ全開でしたが楽しめました。なぜこんなのを読んだかというと、正月に帰省したときに母が図書館で借りてきてたから。「サクちゃんが読むかと思って~」とのことでした。読んだけど、特にファンなわけじゃないよ?

多和田葉子氏。多和田さま。気になる作家でありつつも、敷居の高さが拭えなかった作家さん。
今回やっとのことで一冊読んで、やっぱり高かった敷居を思い知る。しかも思ってより高いぜ。ザ・純文学!私の本読みレベルでは追いつかない!ううー、芥川賞受賞の『犬婿入り』から読んでみるか。

新釈 走れメロス 他四篇

森見 登美彦 / 祥伝社


夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

カズオ・イシグロ / 早川書房


少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記 (創元ライブラリ) (創元ライブラリ L さ 1-1)

桜庭 一樹 / 東京創元社


書店はタイムマシーン―桜庭一樹読書日記

桜庭 一樹 / 東京創元社


きみは白鳥の死体を踏んだことがあるか(下駄で) (本人本)

宮藤官九郎 / 太田出版


海に落とした名前

多和田 葉子 / 新潮社


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by saku_2425 | 2010-02-08 00:12 | 本をよむ

モテたい理由

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もう疲れたよ…でも、止まれない。女たちを包囲する“モテ”の真実。

「モテ」って何だろう。男女にとっての「モテ」の違いって何だろう。何で女性誌では「モテ=真善美」みたいな扱いなんだろう。一種の宗教みたいなものだろうか。「モテ市場」ってどのくらいの規模なんだろう。「モテたい」って、マズローの五段階欲求で言うとどの段階に属するものなんだろう・・・etc。

「モテ」が気になりだした直接のきっかけは美容院で見る女性誌でした。紙面を貫く「モテなくちゃ女じゃない!」という厳然とした前提に慄き、「えっ、モテって何!?」と慌てて周囲に聞き出したのが半年前。
あまりに尋ねる私に業を煮やした友人が本書を紹介してくれたわけでした(よほど煩かったのだろう)。

本書の著書は赤坂真理さん、作家です。「女の目から見た世界」「獰猛な恋愛資本主義」「蔓延するライフスタイル語り」「女子が生きるファンタジー」「ライフスタイルの元祖たち」「男たちの受難」「女のという水物相場」という全7章で構成されています。(終章「戦争とアメリカと私」があとがき的についてる)

面白かったのだけど、期待していた内容ではなかった。赤坂真理という作家が一種の呪詛をこめて書き下ろしたエッセイといった感じかな。あくまで私的な筆致なので論旨も荒削りだし、そこに着地するか!?という箇所も多々あるし、感情に流れて部分も多い(ある意味では本書全てが感情論とも言える)けど、でもハッとさせられる文章も多くて付箋がもじゃもじゃ付きました。

すべてがメス化していくのは、「女性」が、消費(広告)にとってのフロンティアだったからだ。だから必死で、文化をそれ一色にしようとする力がある。広告代理店だって必死だろう。それはおそらく本当に最後のフロンティアだから、開発しつくしたら、飽きてしまったら、後がないのだが。この「後のない感じ」は、当の女性にフィードバックされて、女性を切羽詰った存在にしている(P21)

今一大ビジネスとされている「モテ」は、たしかに女性の好む価値観ではあるが、ものを育んだりやわらかに包んだりといった女性の美質というよりは、女性の「業」の部分をとり出して拡大したもののように思う(P28)

モテとは、関係性(特に異性との)において優位に立つことである(P29)

そして実のところ、女性誌の言っていることは、中学生でも(たとえば『ハナチュー』という雑誌)五十代でも(たとえば『クロワッサン・プレミアム』)、基本のところはまったくいっしょだ。
関係性のなかでしあわせを感じたいという願い。そのためにきれいになりたいという気持ち。
それが、現実的には恋愛となり、昨今「モテ」という言葉に集約されつつあるものの核にある感情である(P80-81)


ちなみに、第4章「女子が生きるファンタジー」では私も大好物の「女性誌/着まわし一ヶ月」が詳細に描写されているので、女性誌を読む機会のない男性はぜひこちらをご一読ください。凄いから。

ということで、面白かったんだけど、帯に「もう疲れたよ・・・でも、止まれない」のコピーが表す通り、何だかひじょうに切羽詰った感溢れる本でした。“女性誌ウォッチャー”である赤坂氏も「定期的に鬱になる」と書いてたし。でも私は女性誌論が読みたいわけじゃなかったんだけどな。

「モテ」とは何か。どうにもひっかかり続けるこの問い、まだまだ探していこうと思います。

モテたい理由 (講談社現代新書)

赤坂 真理 / 講談社


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by saku_2425 | 2010-02-07 23:25 | 本をよむ

蘆屋家の崩壊

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定職を持たない猿渡と小説家の伯爵は豆腐好きが縁で結びついたコンビ。伯爵の取材に運転手として同行する先々でなぜか遭遇する、身の毛もよだつ怪奇現象。飄々としたふたり旅は、小浜で蘆屋道満の末裔たちに、富士市では赤い巨人の噂に、榛名山では謎めいた狛犬に出迎えられ、やがて、日常世界が幻想地獄に変貌する―。鬼才が彩る妖しの幻想怪奇短篇集。

遅れてきた津原泰水ファンということで、1999年発行の作品を今頃読む(しかも借り物)。
そして瞠目する。すげえええ!!これ好き!!!これまで読んだ津原泰水の中でいちばん好き。
津原泰水という人を追いかけよう、と決心した一冊でした。

短篇集です。定職を持たない「猿渡」と小説家の「伯爵」のコンビが色んな場所をふらふらと訪ねて怪異に遭遇する、というのが基本コンセプトですが、猿渡さんしか出てこない話もあるし、初出の文芸誌がバラバラだったのかなあと思わせるような“幻想怪奇短篇集”です。

何が凄いかと言えば、その一編一編の完成度。一編ごとにぱっくりと口を開ける闇の深淵。
流麗かつ簡潔な行間から立ち上るあまりに明晰なその幻想に息を飲むばかりです。これは至高の読書体験だと思う。そしてまた猿渡君がいいんだわ。死と弱さと優しさと狂気を具現化したような彼。行く先々で現れる怪奇は、確かに彼が呼んでいるんだと思う(彼は伯爵が呼んでると主張してますが)。

全編、決してハッピーじゃない読後感ですが、ふたりの友愛が一抹の清涼剤となってくれます。

おれは貪るように食った。途中で息をつぎながら、
「伯爵、旨いよ」といったら同時に両眼から涙がこぼれた。おれは泣きながら残りを食った。
「おいしいですね」
伯爵もハンカチで目頭を拭っていた。旅はいい。


いい大人が、豆腐食ったくらいで泣くなよ・・・(笑)

全編いいんですが、圧巻は最後の「水牛群」です。私はこれを読んで号泣しました。
神経を病んだ猿渡の苦悶。その原因が何の美しさも妙味もない、つまらぬこの世のいざこざであるというのがまたどうしようもない。死さえ思う猿渡が必死に助けを求めたのは2年間会っていない伯爵、すぐに現れた伯爵は、猿渡を自らの取材旅行へ連れていく。そこで彼らが見たものは・・・。
ボロボロ泣きながら、これが「赦し」というものなのかも知れない、と何度も読み返しました。

幻想/怪奇というジャンルが苦手なのは、ともすればそこに人間性が乏しい場合があるから。
でもこれは違う。全編の怪奇を呼んでいるのはすべて人間の哀しみ、おかしさ、優しさ、愛情などなど。
小説好きにおすすめします。

蘆屋家の崩壊 (集英社文庫)

津原 泰水 / 集英社


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by saku_2425 | 2010-02-07 16:58 | 本をよむ

贖罪

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現代の名匠による衝撃の結末は世界中の読者の感動を呼び、小説愛好家たちを唸らせた。究極のラブストーリーとして、現代文学の到達点として―。始まりは1935年、イギリス地方旧家。タリス家の末娘ブライオニーは、最愛の兄のために劇の上演を準備していた。じれったいほど優美に、精緻に描かれる時間の果てに、13歳の少女が目撃した光景とは。傑作の名に恥じぬ、著者代表作の開幕。

イアン・マキューアンを初めて読んだのは、2008年に読んだ『土曜日』。マキューアンの名前を知っていたわけではなく、新潮クレストブックスを端から読破しようとしていた途上の出会いでした。
そのときは、「たった一日をこんなに執拗に、しかも全編に『何かが起きる・・・』と不吉な影を漂わせながら描くなんて凄い力量だなあ。何か底の知れない湖の表面を眺めてるみたい」と呑気に感心していたのですが、後に彼が現代英国を代表する作家であることを知って納得(そして不明を恥じる)。

今回の『贖罪』は、「つぐない」というタイトルで映画化もされているマキューアンの代表作です。
映画は観ていないのだけど、確かキーラ・ナイトレイが出てるんだっけ?好きな女優さんなので観ようかと思ったのですが、あらすじが何か悲惨だったので止めた記憶があります。
ハッピーエンドじゃない映画は基本的に観たくない。でも小説ならハッピーエンドは重要じゃない!

ということで、新潮文庫で読んだ『贖罪』。上巻に第一部が、下巻に第二・三部が収められています。
まず小説慣れしていない人は上巻で挫折するだろうな(笑)悲劇の舞台となる屋敷に織り成す人々のことを、昆虫のような視線で執拗に、繊細に冷酷に描写していきます。動きはない。ストーリーもほとんどない。1ページ目からええーい!とばかりに物語をジェットコースターに載せるJ・アーヴィングとは正反対とも言える。(でもこれってカズオ・イシグロでも感じたので、現代イギリス作家の特長なのかも?)

私がこの小説に胸を掴まれたのは、少女ブライオニーの“業”があまりに切実だったからです。「創作」という行為が根本に持つ傲慢さ、残酷さ、浅薄さを少しでも感じたことがある人間ならば、「創作」が「現実」との間に産むのは素晴らしいものより悲惨なもののほうが多いのではなかろうかという想像は容易い。
有名なところではカポーティーの『叶えられた祈り』、三島由紀夫の『宴のあと』が「現実」にもたらした被害たるや、「ちょwおまww」ってなもんだろう。「偉い作家様だか何だか知らないが、てめえの芸術で人の人生壊すなや!」とでも言いたくもなるさ。
いわんや、作家を志す13歳の少女です。「愚かでヒステリックで夢想家の嘘つき」と姉になじられるのも当然だ。でも、もう既に作家の“業”が彼女を捕えていたのだから。悲劇、としか言いようがない。

ブライオニーの秩序感覚に反することではあるが、自分以外の人間もすべて自分と同じように意識を有しているという可能性は圧倒的に高いのだし、ブライオニーにもそのことは分かっていた。わかってはいたが、ひどく理屈っぽい分かり方であって、実感は伴わなかった。

劇作の浅薄さ、無駄になった時間、他人の心の粗雑さ、何かのふりをすることの卑しさ-芸術の園にあっては、そうした雑草は死なねばならぬのだ。

依怙地な思いがこみあげてきたブライオニーは、急角度の草土手を橋まで上がり、私道に立つと、何か意味のあることが起きるまでここでじっとしていようと決心した。こうした形でブライオニーは実存に戦いを挑んだのだ-自分はここを動くまい、ディナーができても、母親に呼ばれたとしても。橋の上でひたすら物静かに頑固に待ち続け、何からの出来事が、自分が考え出した幻想ではなく本物の出来事が、この挑戦に応えて自分の存在の無意味さを吹き払ってくれるまでは決して動くまい。

ひとの手紙を開けるのはよくないが、ブライオニーにとっては、すべてを知るのが正しいことであり、必要なことだったのだ。


このような考え方をする少女が、多感な少女時代を無傷で(自分に対しても外界に対しても)潜り抜けることは難しかっただろう。悲劇は起こるべくして起きたのだろう。それが上巻です(長かったな)。

そして下巻、舞台は上巻から5年後の戦争シーンで幕を開ける。5年間の悲劇によって人生が変わった3人の人間がいる。ロビー、セシーリア、そしてブライオニー。決定的に損なわれた家族がある。失われた未来がある。それでも人生は続き、ブライオニーは贖罪の道を歩もうとする。

ここでもやはり私が惹き付けられるのはブライオニーなのだ。前途洋々だった未来を全て失い、前線(しかし敗残兵として)で死線をさまよっているロビー、家族と絶縁して頑なにロビーを待つセシーリア。この2人は絶対的な被害者であり、痛めつけられ奪われ虐げられ、それでも互いを支えとして生きようとする説得力のある「物語」がある。彼らの生にはエネルギーがある。

対してブライオニー。18歳になったブライオニーは、周囲の予想を裏切ってケンブリッジに入学せず、家族とも離れてセシーリアと同じ看護師の道を選ぶ。18歳の彼女の生活が描かれる第三部は、これまで以上に注意深く読みました。彼女の心境が知りたかったのです、凄く。
13歳のときに犯した「過ち」を彼女はどう捉えているのか。後悔しているのか、正当化しているのか、忘れているのか、創作の糧にしているのか。姉を失い、ロビーを失った5年間を彼女はどう過ごしたのか。

彼女は看護師として働き、小説を書く時間はない。そして5年前の自らの証言を取り消したい、と姉に伝えようとする。「私が間違っていたことを皆の前で話すわ」と言うときの彼女の胸にある感情を、私はじっくりと推し量る。作家の“業”は消滅したのか、それは消滅しえるものなのか。「他人の人生を破壊した」という罪を彼女はどのように抱えて生きていくのか。小説は書かないのか、書けないのか。
そのような私の疑問に、ブライオニーははっきりとは語らない。でも行動の端々に見えてくる彼女の感情/思考から、ゆるやかに伝わってくるものがある。「贖罪」という言葉の意味を私は再度考える。

そして仕掛けは第三部の後、「ロンドン、一九九九年」という章で明らかにされる。
実は私はこのような、小説内小説のかたちをとる、つまり作者の作為が明確に現れる構成は好みじゃないのですが(小説は小説だけで閉じてもらいたい)、本作に限ってはこれが肝になるので、仕方がない。
この章は作品的には不要かも知れないけど(映画にはあるんだろうか?)、マキューアンの文学論が凝縮されているので興味深いです。77歳のブライオニー。そしてロビーとセシーリアは?

2010年の幕開けにふさわしい小説でした。映画も、観てみようかな。

贖罪〈上〉 (新潮文庫)

イアン マキューアン / 新潮社


贖罪 下巻 (2) (新潮文庫 マ 28-4)

イアン マキューアン / 新潮社


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by saku_2425 | 2010-02-07 15:58 | 本をよむ

白石一文さん直木賞受賞

第147回直木賞は、佐々木譲さんと白石一文さんが受賞されましたね。

昨年12月の日経オンラインの「著者に聞く」コーナーに、白石一文さんが登場されていました。
「『運命の相手』は間違いなく存在する-31歳独身“婚活中”女性記者、作家に結婚指南を受ける」というタイトルで(すごいタイトルだ)、白石さんが最新作の『ほかならぬ人へ』を語る、という構成でした。

主題はタイトルの通り、「真実の相手は必ず居るが、簡単に会えるものではない。幸せな結婚をするためには、雑音に惑わされず、よほどの確信をもつまでは結婚しないこと」みたいなひじょうに益体もないことをぐちゃぐちゃと語らされていて(笑)、笑いながら読んでいたのですが、そういう白石さん個人のマッチョでロマンティックな結婚観なんかはどうでもよくて、私が印象に残ったのは別のところだった。

それは、インタビューの冒頭で白石さんがきっぱりと、「僕は男性に向けて小説を書いてきた」「主人公が女性の作品もあるが、あくまで男性の視点から見た女性だ」「僕のすべての小説は男性仕様だと言っても過言ではない」「男性が読んでくれたらいいなあと思いながら書いている」と語っていたことです。
本人がきちんと表明しているにも関わらず、インタビュー内では意図的にその視点を外しているように見えたな。インタビュアーがあまりに無邪気な女性誌的態度なので、作家のシニカルさが生きなかった。

このインタビューでは、白石さんを“「この世の成り立ち」についてのストイックな思索を、エンターテイメント性に富んだストーリー展開の中に巧みに織り交ぜる手法で支持を集める”と紹介していました。うまく表現しているなあと思いましたが、そこに「男性視点から」と付け加えてもよかったかも知れない(笑)

おや、芥川賞は該当作なしだったんですね。とりあえず誰か受賞させれば本も売れるでしょうに、審査員の文学的矜持によりビジネスチャンスがつぶされたようにも見えちゃうね。
出版界が世間に注目される半年に一度のイベントなんだから、関係各社は協力してチャンスを生かせばいいのにな、とスノッブな本好きである私は個人的に考えます。
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by saku_2425 | 2010-01-15 13:09 | 本をよむ

アナザー・ワールド 王国その4

よしもとばなな「アナザー・ワールド 王国その4」が「新潮」2010年2月号に掲載されました。
書き下ろしじゃない彼女の作品は久しぶりに見ました。しかも300枚というボリュームを一挙掲載。文芸誌でよしもとばななの小説を読んだのは初めてです(エッセイはある)。

でも、読み始めると違和感はすぐに消え、ただひたすらばななワールドに没頭したのでした。

語り手は雫石ではなく、片岡ノニ。彼女はママと、2人のパパと一緒に4人で幸せに暮らしてきた。
本当のパパは身体が弱くて目も見えないが、誇り高く賢く気高い素晴らしい人。
法律上のパパ(ノニはパパ2と呼ぶ)とママは、そんなパパを心から愛して尊敬している。
パパ亡き後、ノニはパパとの思い出の土地をひとりで訪れ、そこで占い師だったパパの予言通りの男性と出会う・・・

・・・という導入なんですが。

「片岡」という名字でピンときたものの、初めは片岡さんの昔の話か何かかと思っていたのだ。
タイトルが「アナザー・ワールド」だし、王国シリーズのアナザー・ストーリー的なものなのかと。
本当に鈍いのだけど、「2人のパパとママ」の正体に気づいたのは、15ページ目にして死を目前にしたパパの口から「雫石のしょっぱい味噌汁が飲みたい。」という言葉が出た瞬間だったのでした。

あの衝撃ったらなかった。まさかそうくるとは思わなかったのだ。「王国3」から一気に20年以上飛んでるなんて!!楓と雫石と片岡さんの物語がそんなところから語られるなんて!!
思わずページを閉じて本を置き、部屋をうろうろ歩き回って心を落ち着けたくらいのショックでした。

でも、もう一度戻ってからはじっくり噛み締めるようにして読みました。
片岡ノニの物語だけど、彼女の「親たち」の物語でもある。ノニを通じて雫石たちの人生が語られる。彼らの決断、苦悩、葛藤、幸福、愛、友情、そして死が。
「王国3」で恋人に振られ、傷つきさ迷った挙句、自分にとって本当に譲れないものを悟った雫石。
思えば、あの時点で雫石は自分の人生の居場所を定めたのかも知れない。自分の魂が向かうべき処を必死で求め続ける人々を書くよしもとばななにとって、雫石は語り手の役目を終えたのかも知れない。

それでもやはり「王国」シリーズを愛した私にとっての主役は雫石であり、楓であり、片岡さん。
何度も胸が詰まったし、泣いたし、最後の片岡さんとニノの会話なんて涙で字が読めないっつの!
“ゲイカップル+女性”が選んだ生き方、という枠なら江國香織「ケイトウの赤、やなぎの緑」もあるんだけど、テーマが違いすぎて枠が一緒であることにさえしばらく気づきませんでしたよ。

文芸誌なので他に載っている作家さんたちの作品も読もう、と楽しみにしていたのですが、よしもとばななワールドにどっぷり浸りきってしまって抜けるのが困難なため、後日にします。今日はこのまま寝よう。
この「アナザー・ワールド 王国その4」で私にとっての「王国」シリーズは完結しました。
ノニちゃんとキノの今後もちょっとは気になるけど、まあ、それはもういいや(いいのか)。
単行本になるときはまた変わっているかも知れませんが、とりあえず「王国その4」、読了です。

新潮 2010年 02月号 [雑誌]

新潮社


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by saku_2425 | 2010-01-09 00:31 | 本をよむ